【赤坂四川飯店見習い時代の思い出】四川肉まんじゅう

【赤坂四川飯店見習い時代の思い出】
1978年(昭和53年)19歳、憧れの陳建民先生の赤坂四川飯店に入社出来ました。5年間の見習い生活で何とか料理人になれるという話で働かさせて頂きました。
53年度の入社は12名、四川飯店では一日でも早く入社(店に入り勤務に就く)とその人が先輩になります。例えば15歳で中学卒業の人が先に入れば私の先輩です。
少し不思議な感覚ですが、当時は、この様な事が私達の料理界でした。53年度の入社リーダーは、陳建民先生の長男、陳建一さんです。私は、辻調理師専門学校を卒業して赤坂四川飯店へ向かいました。12人中の中頃でした。赤坂四川飯店で12人も必要なく支店での仕事に就きます。5年間で赤坂四川飯店(本店)勤務は、みんな2年~3年くらいです。
私は、入社して直ぐに金沢四川飯店へ6ヶ月、本店へ帰り2年目の秋(10月頃)に陳先生からランチ開始直前、広島四川飯店へ手伝いにと辞令を伝えられ結果8ヶ月間広島でお世話になりました。広島でのポジションは、麺台と言って野菜の下準備をしたり蒸しパン(花巻)を作ったりします。本店でも蒸しパンは作っていましたが、広島は、総菜販売があり朝から沢山の料理、点心等を調理します。
四川飯店一門のこだわりの四川包子(肉まん)に出会います。
朝、生地を捏ねて60個くらい作ります。生地を捏ねるのは私の担当でした。肉まんを包むのは、勿論先輩です。最後に3個くらい生地を残してもらって肉なしの肉まん擬きを練習したものです。四川飯店では肉まんが二重ひだにならないといけない伝統があります。広島の寮に持ち帰り深夜によく練習しました。
広島勤務になって直ぐに一年先輩の西尾さん(現在、四川飯店グループの松山店、高松店の総括責任者)に中川は二重ひだが出来ないと本店に帰れん!と伝えられました。(そんな無茶な事をと心の中ではやれんのぉー)と思いましたよ!懸命に努力して新緑の新芽の様な可愛い小さい二重ひだが出て本店へ帰して頂きました。努力しなかったら広島に拉致されるところでした。(笑)
当時、広島四川飯店の厨房は凄い方ばかりで厨房メンバーは、四川飯店グループの中でも最強厨房チームと思います。
総料理長の代元三先生はじめ、剛腕で繊細な先輩の方々でした。8ヶ月で強くして頂けました。まあ相撲の出稽古くらいと思って下さい。二重ひだ四川包子を赤坂四川飯店へ持ち帰り私の宝物になりました。動画は、10年前くらいに赤坂四川飯店OB会で1年先輩の西尾正さんにお願いをして天外天から生地、肉まんの餡を赤坂の厨房へ持ち込み包んでもらいました。画像の肉まんは天外天で私が作った新緑の新芽の様な可愛い小さい二重ひだ?四川包子です。当時、心温かく迎えて頂いた広島四川飯店の皆様、そして陳建一さんと同様に息子の様に教えて頂き可愛がって頂いた故陳建民先生に心より感謝致します。並びに私を実弟として指導頂きました。四川飯店グループ会長陳建一さんに深く御礼申し上げます。
これからも天外天の弟子達に継承して参ります。

   

修業時代 陳建一さん 西尾正さん

*【巨匠の弟子の絶品一皿 中華の神様!】*

*【イチロー選手と私の思い出】*